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2012年3月9日(金) 第120号 『春雨とカエルと優しさについて』


宮崎ではうんざりするほどの雨模様が続いている。快晴の合間の雨であれば、冬眠から目覚めた動物や早春に芽吹いた植物が嬉々として水に打たれる様子を想像しながら情緒を感じることができないわけでもないが、1週間近く降り続く雨はもはや拷問でしかない。




例えば、私の安物の革靴の底には、長年にわたる愛着の結果として穴がうがたれ、
容赦なく靴下を湿らせる。


例えば、私の安物のビニール傘には、長年にわたる愛着の結果として穴がうがたれ、
容赦なく私の頭髪を湿らせる。


例えば、私の安物の乗用車は、長年にわたる愛着の結果として自動開閉窓の開閉装置が故障し、
走行中に頼んでもいないのに窓が開き、私の右半身を湿らせる。




これらの不快はすべて降り続く雨によってもたらされるものである。どのような達観をもってこの厄介者を愛でることができようか。


雨


そんな湿っぽい日々が続いていたある日の午後、キャンパスの中を歩いていると、2人の女子学生が道端にしゃがみ込んで何かを見つめている。コンタクトレンズでも落としたのだろうか、と近づいてみると、一匹のカエルがひっくり返っている。




「死んでいるのかな?」


「ねえ、きっと冬眠から目覚めるのが早すぎたんだよ」


「なぜそんなに生き急いだんだろう?」


「かわいそうだね」


「土の中に埋めてあげようよ」




女子学生2人はそんな相談をしていた。彼女たちの優しい眼差しを目の当たりにして、私は革靴と傘と乗用車のメンテナンス不足を棚に上げて雨に呪詛を投げかけていた己を深く恥じ入った。








「スコップを持ってこようか?」と私が声をかけると、彼女たちは「手で掘るから大丈夫です」と答えて、木の根元をざくざくと掘り始めた。






深さ10cmほどの穴を掘り、いよいよカエルを土葬することになった。女子学生のうちの1人がカエルを持ち上げると、カエルの足がピクリと動いた。「生きてる!」「生きてた!!」「やった!!!」我々は歓喜に沸いた。






続いて、彼女たちは九死に一生を得たカエルの応急処置について相談を始めた。




「二度寝させたほうがいいよ。土の中に戻そう」


「ちょっと待って、息が詰まるんじゃない?そもそも両生類って呼吸器どうなってるっけ?」


そんな声を背に、私はその場を離れた。


















日々報じられる凄惨な事件や環境破壊のニュースは、行き過ぎた資本主義が共同体を解体し、人と人、もしくは人と地球との間の絆が失われつつあることに警鐘を鳴らす。






しかし、一部の事象を全般化して暗い気持ちになる必要はない。まったく打算的ではない優しさというものが、誰かをただ助けたいという気持ちが、私たちの身の回りには自然な形で今も存在する。そんな当たり前のことを、震災から1年が経過しようとしている現在も東北でのボランティア活動に従事する在学生や卒業生たち、そしてカエルをめぐる小さな出来事が思い出させてくれる。


梅?


そして、早春の冷気を社会の厳しさに置き換えるのであれば、カエルは若者であり、冬眠期間が大学生活と言えるかもしれない。この春卒業して社会に飛び出す4年生、就職活動真っ最中の3年生は、言わば冬眠から覚める直前だ。眠い目をこすりながら暖かい土から這い出たとき、「学生気分のままじゃあ駄目だ」「仕事や社会を甘く見るな」と厳しい言葉を投げかけられて、あまりの寒さに凍えてしまうかもしれない。








そんな時は、周りにいる同じようなカエルと助け合うといい。自分に余裕があるときは他人を助け、余裕がないときは助けてもらおう。








そしていつの日か、足をしっかりと曲げて太ももに力を限界までためて、雨上りの青空めがけて高く高く跳ぶのだ。




















以上、あまり着地点を考えず書き進めているうちに「なんやええ話になったなあ」という驚きを禁じ得ない学務課コバヤシがお送りしました。