(事務局より)
今年度から新体制となった「週刊 花の金曜日」。万が一、更新が飛んでしまったときのために備えた「予備記事」というものがあります。
今月は順調に更新が行えましたが、8月で旬が終わってしまいますので、日の目を見られなくなる前に、その「予備記事」をここで公開。今後も、「金曜日」以外にも、神出鬼没の更新があるかもしれません。ぜひ、こまめに宮崎公立大学ウェブサイトをご覧ください。
それでは、今回の予備記事『1964年の夏…』をどうぞ。
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今から50年くらい前のことです。
宮崎公立大学はもちろん影も形もなく、ここには、宮崎大学教育学部がありました。私の家は、近くだったものですから、学校に通うときはいつも教育学部の中を通って、通学していました。
また、ここは、私にとって夏休みの遊び場の一つでもありました。
宮崎大学教育学部が移転した後、宮崎公立大学がつくられたのですが、その際、できるだけ植栽されていた木々を残すような形で建設が進んだと聞いています。
もう50年くらい前の話ですから、当時の木々1本1本を覚えているわけではありませんが、大学は違っても、木々のイメージは当時の思い出を誘発してくれます。
私が宮崎大学教育学部の敷地に入るのは、北側の霧島児童公園の方角からでした。そこには、小さな入り口があり、その入り口から入ると、左手の木造の校舎からは、ピアノの音がよく聞こえてきました。学生がピアノの練習をしていたのだと思います。ピアノの音を聞きながら、大学の中を通り抜け、南側の正門から抜けていく、とそんな感じでした。
また、夏休みには、格好の昆虫採集の場となりました。小学生の夏、なぜか、蝉取りに夢中になり、毎日、通い、蝉を一杯とって帰っては、母親から、なんでこんなに採ってくるの?といぶかしがられたことを記憶しています。
自分でも、なぜ、あんなに蝉採りに夢中になったのか、今では、思い出せませんが、夢中になっての蝉採りとBGMの蝉の声とピアノの音色は今でも覚えています。
そうそう、そんな折、先生からだったでしょうか、朝早く行けば、蝉が殻から脱皮するところを見ることができるかもしれないよ、と言われ、何回かチャレンジし、数回目にようやく直に見ることができました。丁度、脱皮するところでした。アブラゼミだったと思いますが、脱皮したばかりの白い羽根をうっとり見ていたことを思い出します。その日から、あれだけ夢中になっていた蝉採りを何故かやめてしまいました。
自分でも、なぜだか、よく覚えていませんが、今思えば、懸命に脱皮したばかりの蝉を見て、蝉も一生懸命生きているんだと感じたからではないかと思います。
まだまだ、暑く、蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ日々が続きます。今では、ピアノの音は聞こえませんが、50年前のあの頃のことが思い返される季節です。
以上、事務局長サヤマがお送りしました。